全4回にわたってお届けしました「路上の囚人たち」はいかがでしたでしょうか。以前にざっと目を通してはいたものの、いざ腰を据えて翻訳に取り掛かると、改めて1924年のツール・ド・フランスに自分も帯同しているような、強い筆致で描かれるジャーナリズムの魔力を体感しました。

2020年のツール・ド・フランス開幕前に始まったこの連載。現在進行形のツールとともに翻訳作業を進めていきました。1924年と2020年のツールを行ったり来たりしながら、自然とその相違点と共通点に思いを馳せる毎日。ささやかな時空の旅は、この新しい生活様式の中でひとつの心の支えになりました。

以下に1924年と2020年の、僕の感じたツール・ド・フランスの相違点と共通点を上げたいと思います。

相違点

・なんと言っても1ステージの距離! 400km超え、早朝2時のスタートといった設定はもう現代では不可能なものでしょう。

・若い選手の活躍。路上の囚人たち(最終回)」の「第11ステージ」に登場するエルコラニは21歳で、「ツールを走るには若すぎる」と自覚する場面がありますが、2020年には同じく21歳のスロベニア人ポガチャルが今にもマイヨジョーヌを奪いそうな活躍を見せています(本稿は第20ステージの個人TT前に執筆しています)。彼に限らず、現在のプロトンには20歳そこそこで頂点を極めんとする選手も続々と現れており、ロードレースとそれをとりまく環境の変化を感じさせます。

・給与の問題。「路上の囚人たち(Vol.03)」の「ツールの内幕で」に登場するクルテルは、数百キロを走ってきても稼ぎがわずか6フラン50セントしかないと、監督のボジェに不服を漏らします。これも、いま世界中のトップオブトップしか出場できないツールでは、考え難いことです。

共通点

・選手たちの人間臭さ。ひと月にわたるレースの中で、選手たちの人間的な側面をみることができるのは、100年経っても変わりません。歌を高らかに歌う総合リーダーのボテッキア。女性好きなティベルギアン、微笑みを絶やさないモティア……。2020年には連覇がかかりながらも、タイムを失いリタイヤしたコロンビアのエガン・ベルナルが、遅れながらもポジティブな姿勢と言動でチャンピオンとしての姿を見せました。優勝者のために毎年身を粉にして働いてきたクフィアトコウスキのステージ勝利を喜んだのはファンだけでなく、現場の選手たちもでした。

・山岳の厳しさ。ツールの華でもあるアルプスとピレネーの山岳ステージ。1924年の過酷さは、未舗装路や機材の未発達という意味でも2020年より勝るものと思いますが、2020年第17ステージのラロズ峠の激坂にあえぐ選手はその厳さを想起させるものでした。

・沿道の熱狂。これは例外的に観客を入れなかった2020年にはあてはまらないかもしれませんが、1924年ツールをめぐる描写を見ていると、ツールが訪れる街は住民がみなそわそわと、その到着を待っていることがそこかしこから伝わってきます。これはTVを通じてツールを見ている私たちにも、合点がいくものです。街のあちこちに飾られるデコレーションや、キャラバングッズを身に付けた沿道の人々、畑に作られる巨大なメッセージアート、etc. ツールを歓迎するフランス人の熱狂ぶりは1世紀の間変わっていません。

・選手たち。パリを目指してフランス全土をめぐる選手たちは、ツール・ド・フランスという広大な競技への挑戦者であることは、変わりません。傷を負いながらも、フィニッシュを目指し走るその姿は、1924年ツールを描いたこの本にも克明に描かれていますが、それは2020年の今年のレースでも、たびたび映像に目にした光景です。

本文(Vol.2)で道でツールを見ていたひとりの老人男性が目に涙を浮かべ口にしたこの言葉は、改めて、ツールの本質を突き当てていると思います。

「あなたがたは、全員が勇気ある男たちだ!……」

(小俣雄風太)

 

路上の囚人たち(Vol.01)
路上の囚人たち(Vol.02)
路上の囚人たち(Vol.03)
路上の囚人たち(最終回)

tour de france
6年前に訪れた英国でもツールドフランスを見た。その精神は、訪れる国が変われど変わらない。