今から14年ほど前のこと。
僕は『BICYCLE NAVI』という雑誌の駆け出し編集部員だった。

撮影用商品の手配、外部スタッフへのオファー、ロケ場所確保やタレントさんへのアポどり、撮影立ち会い、インタビュー、原稿書き、ポジや写真データの整理、ウェブの更新など、「雑誌づくりに必要なことすべて」が僕の仕事で、朝から晩まで、それこそ土日祝日関係なく働きまくっていた。

今思えばあんなに働きずくめでよく生きていたものだ…と思うほどにブラックな職場環境だったが、あのときの経験があったからこそ今の自分があるともいえる。

当時はスポーツバイクブームまっただなかで、BICYCLE NAVIもその恩恵に与かっていた。季刊誌(3ヶ月に1回)だったのが隔月刊(2ヶ月に1回)になったといえば分かりやすいだろうか。出版斜陽と言われてはじめてはいたが、当時のBICYCLE NAVIは発行回数を増やすほど順調に売り上げを伸ばしていたのだ。

そんな『BICYCLE NAVI』の2006年夏号の特集が「100人が選んだ100台」だった。僕が担当したのは「原宿・表参道で見つけた17人のサイクリスト」。いわゆる街角スナップというやつで、アポなしで街角にいるサイクリストにナンパして声をかけて撮影交渉を行うというもの。

このとき表参道の交差点付近で出会ったのが、T-servのメッセンジャーとして都内を走っていた南くんだった。

表参道で撮ったスナップ写真は、当時彼が所属していた事務所からNGが出て誌面にはつかえなかったのだが(笑)、それがキッカケ(だと思っている)で、南くんはBICYCLE NAVIの誌面にたびたび登場するようになった。

南くんとはプライベートでご飯に行ったりするほどの仲ではなかったが、たまに会うとメッセンジャーと自転車に関する話をうれしそうにしてくれた。僕自身メッセンジャーカルチャーに興味があったし、なによりストーリーテラーのような彼の話を聞くのが好きだった。

僕が雑誌業界を離れてからは、SNSを通じて南くんが何をやっているかはなんとなく把握している程度だったが、改めて連絡をとるようになったのはLa routeの立ち上げがきっかけだ。

数年振りにあった南くんは職業こそバリスタになったが、あのころと同じくメッセンジャーと自転車への愛で溢れていた。愛なんて書くと恥ずかしいが、きっと彼に会った多くの人がそんな感想を抱くに違いない。とにかくメッセンジャーと自転車が好きな、めちゃくちゃいいヤツなのだ。

新しく始まった「メッセンジャー狂時代」は、そんなメッセンジャー愛に溢れる南くんにお願いして書いてもらったものだ。

2000年代、ロードバイクをはじめとするスポーツバイクブームが過熱していくなか、メッセンジャーというカルチャーも世界的なムーブメントになっていった。

前者がレースがベースにあるのに対し、後者はストリート。どちらも成り立ちは異なるが、メッセンジャーカルチャーがスポーツバイクに与えた影響は大きく、自転車業界の盛り上がりの一端を担っていたのは紛れもない事実。

その事実とともにあのときの熱狂とリアルを、メッセンジャーというカルチャーと彼らのスピリットを、外側からではなく中の目線で伝えたい――それには自身がメッセンジャーであり、メッセンジャーカルチャーに夢中になっていた南くんが適任なのではないかと思ったからだ。また、当時のメッセンジャーのリアルを伝えるメディアは、少なくとも僕が見る限りなかったというのもこの企画をスタートさせた理由のひとつだ。

過去を懐かしんで、「あの頃はよかった」なんて言うつもりはこれっぽっちもない。あのころの熱狂を知らない人は「そんな時代があったんだ」という発見になるだろうし、当時を知っている人は懐かしんでいただくとともに、そこから何かしらの気付きを得ていただければと思う。

ちなみに当時の写真を使用する手前、ノーブレーキや道交法違反の写真がでてくることがあるかもしれないが、それらを推奨するつもりは一切ない。あくまで当時の出来事のひとつとして捉えていただければ幸いである。La route読者は大人な方が多いので、そんな分かり切ったことについてあれこれ言う人はいないでしょうけど。

最後になりますが、当時のメッセンジャーシーンの写真をお持ちの方がいましたら、ぜひ誌面で使わせていただきたく思います。心当たりのある方はぜひこちらまでご連絡いただけるとありがたいです。

(栗山晃靖)