写真集でカルチャーショックを受ける

メッセンジャー。それは、自転車による緊急配送請負人。

僕がその職業にはじめて触れたのは約20年前の2000年頃。地元である熊本のとある小さな自転車店にあったフィリップ・ビアロボスの『メッセンジャースタイル』というNYのメッセンジャー達のポートレートを集めた写真集だった。

メッセンジャーなんて一人もいない町に住んでいた僕は、自転車は人力で色んな所へ行ける“工業製品としてなんか好き”という程度の高校生。その写真集は自転車のまったく新しいスタイルを僕に見せてくれたのだ。

腰にゴツいチェーンを巻き、タトゥー、ドレッド、ボロボロのキャップ、ドゥーラグ、切りっぱなしのショーツ、過剰なまでのプロテクター。タンクトップだけのラフな服装だったり、サイクルジャージを着ていても競技のそれとは違う着崩し方。”メッセンジャースタイル”と銘打ちながら、誰ひとり同じスタイルはいなくて、それでも誰もが自信満々で写る姿は圧倒的な存在感を放っていたのだ。

自転車ってこんな風に自由に楽しんでいいんだというカルチャーショックをうけ、僕はすぐさま写真集に出てきたオルトリーブのバッグを両親に買ってもらい、好きなバンドのステッカーを貼って通学していた。

ママチャリのサドルをベタ下げにして、エナメルのスポーツバッグをぶら下げている運動部の男子がモテる時期だったので、僕がうけた衝撃を共有できる同級生はひとりもいなかったが。

高校を卒業すると、映画が好きで役者を志して上京。自慢のスペシャライズドのクロスバイクに乗って、Tシャツに短パン、グローブをはめて、メッセンジャーバッグはもちろんキュッと締めあげて、いわゆる”メッセンジャー風”を気取りながら引き続き移動手段としての自転車を楽しんでいた。

メッセンジャー・スタイル
2000年に発刊され翌2001年には日本語版も発行された写真集『メッセンジャー・スタイル』。ファッション系フォトグラファー、フィリップ・ビアロボスによるポートレートが、当時のリアルなメッセンジャーカルチャーを描き出している。現在はどちらも絶版。

センチュリーライドとアレーキャット

そんなある日、出演した番組の企画で100マイルを走行する「ホノルルセンチュリーライド」にチャレンジすることになる。“自転車が好きらしい”というだけの理由で僕が選ばれたのだ。

実のところ自転車部どころか運動系部活動などを一切経験していない僕に100マイル(160km)は未知の距離。なんなら体力にも運動神経にもコンプレックスを抱えているほどだった。

不安を抱えたままチャレンジした結果、初めて乗ったアンタレスのロードレーサーと初めてのビンディングシューズのお陰でまさかの完走。ロードレーサーの軽やかな走りに感激し、帰国後レンタルしたものと同じバイクをすぐに購入した。

コロンバスの涙滴形状のアルミチューブにカーボンバックが大のお気に入り。コンポはティアグラから105にアップグレードされ、デュラエースの完組ホイールWH-7800までもがセットになった特別仕様車だ。

納車日は嬉しすぎてベッドの横に置いて一緒に寝たほど。“自転車に乗ること”がより楽しくなっていったのはこの頃からだった。

それまで以上にあらゆる移動に自転車を使うようになると、街を颯爽と走るメッセンジャーが自然と目に飛び込んでくるようになり、さらに読み漁っていた自転車誌の記事や広告に彼らが出ていることにも気付く。

これが改めて”職業としての”メッセンジャー”を認識したときだった。

一方、相変わらずの工業製品としての自転車好きでもあったので、東京の様々な自転車店を自転車誌等で得た情報を頼りに巡っていたのだが、一ヶ所だけ、あるファッション誌のニュースページで存在を知った店があった。

原宿にある「W-BASE」だ。

バウンティハンターや、ヘクティクとのコラボバイクなど、明らかにスポーツ志向の自転車店では出てこないワードが並ぶ店舗紹介文。アパレルショップのような佇まいと、ちょっとだけ強面だけどお洒落なスタッフ。勇気を出して入店してみると、「イケてる自転車やスタイル」についての話をそれはもう楽しく優しく教えてくれたのだ。

そこで知ったのがピスト、そしてメッセンジャー同士の会社を越えたコミュニティの存在だった。

その頃はまだピストブーム前夜。

楽しくてイケてると教えてもらったピストは競輪選手のお下がりや、関戸橋のフリマなどで格安で手に入る時代。変速なしの固定ギアなんて都内じゃキツくないか? とも思いながら、そのシンプルな構造があまりにかっこよかった。

そしてコミュニティ。

「こんなんあるよ」とW-BASEのスタッフに渡された1枚のフライヤー。ミクスプレッションというイベント名、集合場所と時間以外何も記されていない。行ってみるとあの写真集でみたような個性的な面々が独特の自転車で集まって、”アレーキャット”というメッセンジャー特有のレースを開催していた。

都内のチェックポイントをより効率よく周ってくるという仕事の延長にゲーム性をプラスしたアレーキャットを全力で楽しむ姿に、あの写真集を見たときと同じような衝撃を受けたのだ。

W-BASEでフライヤーをもらってきたんだと話してみるとみんなウェルカムで、彼らの使い込まれた自転車を突然現れた僕にたくさん見せてくれた。それぞれ所属する会社はバラバラだけど、こうして集まって遊んでいるという。そこには想像もしなかった世界が広がっていて、もっと知りたい、ここに加わりたい、と思うようにもなっていたのだ。

センチュリーライドとアレーキャット。今思えば、まったく性質の異なるこの2つのイベントが、僕を自転車の、そしてメッセンジャーの世界に導いてくれたに違いない。

Honolulu Century Ride
2005年のホノルルセンチュリーライドに出場した時の写真が実家から出てきた。今から15年前、カラダは華奢で、当たり前だが見た目も若々しい。このときの装備はすべて借り物で、帰国後僕は同じ自転車を購入することになる。

ついに憧れのメッセンジャーへ

メッセンジャーへの憧れを抑えられなくなった僕は、試しに街で見かけたメッセンジャーの後ろについて走ったことも。今思えば、相当迷惑なやつだったに違いない。ひとりだけ少しも追いつけずに瞬時に消えてしまったこともあったが(この人の話はまた後ほど)、漠然とした自信が湧いた僕は役者をやりながらも(といってもまだまだ食べていけるレベルではなかった)、メッセンジャーになることを決めたのだ。

悩んだのはどこに履歴書を送るか。

街でよく見かけたのはやはりメッセンジャー会社最大手の「T-serv」。MTBにスリックタイヤを履かせた、まさにホイチョイ映画『メッセンジャー』のスタイル。バンザイペイントデザインのサイクルジャージにマンハッタンポーテージの別注バッグを愛用している人が多く、バッグの底面にある別注のロゴが、後ろ姿から見えるのがすごくかっこよかった。

もう一社悩んだのは「Cyclex」。マイクロロンというケミカルの広告に、ラフな服装で使い込まれたピストと共に笑顔で写る佇まいは、街で見かけることはあまりなかったものの明らかにイケていた。そう、あの写真集で見たのと同じスタイルだ。

こちらはさながら映画『クイックシルバー』といったところか。

街でCyClexを見かけなかった理由は後に知るのだが、彼らに惹かれると同時にメッセンジャーの中でも少数精鋭なCyclexへの応募はさすがに無謀と怖気づき、僕はT-servに履歴書を送ったのだった。

T-servの面接に無事受かった僕は、晴れて憧れのメッセンジャーに。天候の影響をすべて受け、公道走行というリスクと常に隣り合わせの仕事だが、先輩達は優しく、無線と会社支給携帯のアプリで構築されたシステムで仕事を覚えていくのがとても楽しかった。

研修初期は、時間に余裕のある「2時間便・3時間便」と呼ばれる混載便をメイン業務とし、ひたすら荷物のピックアップだけをする。都心部に数カ所ある中継所に一旦集め、エリアごとにまとめて移動、または中継所からデリバリーのみをする、という役割分担で一日に相当な件数をこなしながら地理を覚えていく。

そうした一連の業務をこなせてようやく、「自分でピックした荷物を自分の最速でデリバリーする」というメッセンジャーの醍醐味とも言える仕事を任されるようになった。T-servではそれを「1時間便」と呼んでおり、僕の初めてのオーダーは内幸町→有楽町。短い距離だったがあのときのルートは未だに僕の記憶に刻まれている。

少しずつ身体も慣れ、おまけに社販でパーツが安く買えることもあって、とても充実した毎日を過ごしていた。いっぽうで、僕の中でメッセンジャーコミュニティの存在が日に日に大きくなっていった。

開催告知はすべて手渡しのフライヤー

当時は携帯こそ普及していたものの、スマホはなくてガラケーが当たり前。当然ながら今のようにLINEなどのアプリはない時代だったこともあり、アレーキャットの開催告知は、街中で他社のメッセンジャーからもらうフライヤーのみ。そして、僕はそのアレーキャットをちょこちょこ覗きに行くようになっていた。

主催メンバーによって様々なイベント名を付け、レース志向強めだったり、遊び強めだったり。

参加者ゼッケンのように毎度配られるスポークカードも楽しみで、皆ホイールにいくつも挟んでいたのだが、僕の自慢のデュラエースホイールにはスポークの交差点がなく挟めなくて悲しかったりもした。

そんなある日、お台場で行われるアレーキャットの一大イベント「ミクスプレッション8」の存在を知ることに。

メッセンジャーは、東京だけでなくN.Y、ロンドン、ベルリンといった世界的な大都市には必ず存在するのだが、このイベントはなんと世界各地のメッセンジャーを招聘するという。僕は「メッセンジャーコミュニティは世界にも繋がっているのか」という事実にワクワクした。

当然T-servのみんなにも「もちろん行くよね?」と聞くと、なぜかイマイチな反応。むしろ会社からは社員は行ってはならないというお達しすら出ていた。

当時はノーブレーキピストやメッセンジャーの信号無視がほんのりと社会問題化しつつあったからだ。その証拠に、T-servは配達でピストを使用すること自体に厳しい条件を設けていた。もちろん今となっては業界最大手のメッセンジャー会社としては当然の判断だとわかるのだが、当時の僕にはダサく思えて仕方なかったのだ。

それと同時に、Cyclexのメッセンジャーが僕にはカッコよく写っていた。バキバキの身体でソリッドなバイクで走る彼らは、明らかに速度域、走っているラインが違う。街で集まっているところを見かけると(なんとなくそれぞれの会社独特の待機場所があった)もはやアベンジャーズ、スーサイドスクワッド、エクスペンダブルズ。配達先のビル内で遭遇しても声もかけられないほどの勢いで駆け抜けていた。

その中には、僕がかつてメッセンジャーの後ろを追いかけ回していた頃に瞬時に消え去ったあの人の姿も。

そしてミクスプレッション当日。
お台場へ向かうルート上で遭遇する、明らかに参加者とわかる海外からのメッセンジャー達。そんな海外勢をアテンドする日本人メッセンジャーが、ワクワクと緊張で高まる僕に声をかけてくれた。Cyclex代表キムシンさんこと木村さんだ。

この出会いこそが、僕のメッセンジャー人生の大きなターニングポイントとなる。

(続く)

ミックスプレッション8が終わり、アフターパーティに向かうメッセンジャーたち。このとき僕はまだロードバイクに乗っていた。

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