「そうすると、私の役割はちょっと微妙ですね。難しいと思うね。島野尚三さんは私の6歳下でね。言うならば、商売敵だったわけですから、できれば(取材を受けることは)失礼したい。なんでかといえば、まあ自他ともに世間はライバルというふうに見ていたわけですし…」

サンツアー・マエダ工業の河合淳三元社長の自宅におじゃまして開口一番に言われた言葉だ。光文社から2003年6月に上梓した『シマノ 世界を制した自転車パーツ〜堺の町工場が世界標準となるまで〜』の取材は何度かの壁にぶち当たって、本ができないんじゃないかと不安を感じたものだった。

それでも、ものづくりに情熱を燃やした方々のお話は興味深い。2002年から6カ月半、堺市に本社を置くシマノやその近隣に足を運び、多くの関係者を訪ねた。島野喜三会長(2020年に逝去)、島野容三社長(現会長)、島野泰三現社長、設計担当やデザイン、その対極に位置する品質管理など。シマノの機能路線を強引に主導した島野敬三3代目社長はすでに他界していたので、当時の証言者としてどうしてもサンツアー元社長の声が聞きたかった。

冒頭にそう切り出した河合社長だが、実際には多くのエピソードを語ってくれた。その中で強く感じたのは、島野敬三さんとの心のつながりだった。ライバルではあるが、お互いを深く敬愛する。お互いの肩書を外して、どこかで会っていたということも打ち明けてくれた。

世界最強の自転車メーカー、シマノ。2021年3月に創業100周年を迎えた。同年のツール・ド・フランスでは、地元メーカー、マヴィックに替わってニュートラルアシスタンスを担当。世界最大の自転車レースに憧れて、そこで使われる日を夢見たシマノ首脳陣の夢が結実した歴史的瞬間だった。

喜三さんや開発首脳陣からその思いを直接聞いていたので、2021年のツール・ド・フランスではシマノブルーのサポートカーがコースを疾駆するシーンを目撃し、多くのことを報告するのがボクの使命だった。残念ながらコロナ禍で現地入りを断念。だから2022年は1年遅れながら「シマノブルー見るぞ!」と強く念じている。

光文社のシマノ本は2003年初版発行なのですでに19年も前の思い出だ。そんな話題を発掘してくれたのがLa routeプロデューサーの栗山晃靖くん。「La routeで書いてくれませんか」と声がけしてくれたのは主筆の安井行生くんだが、この業界に引きずり込んだ責任者はこのボクだ。

その安井くん。『正直に告白しますと、最初にお会いしたときは「自転車のこと知らなさそうなおじさんだなぁ」なんて思ってました』と。おじさんという部分は引っかかるが、さすがの洞察力。じつはあまり自転車のことを知らないのだ。それだからこそ、取材した方々の言葉をていねいにつむぎ合わせ、1冊にまとめた。

当時の開発者たちの部品づくりにかけた情熱はいまでも記憶に残っている。紙の本としては現在図書館などに所蔵される程度だが、ものづくりに命を燃やした人たちを今の自転車好きにもぜひ知ってほしいという思いがあり、今回のLa route連載(Vol.01Vol.02Vol.03、Vol.04)が契機となり、光文社から電子書籍化されることになった。

興味のある方は電書サイトで「シマノ」「光文社」と検索のほど。

(山口和幸)