正直に告白しますと、最初にお会いしたときは「自転車のこと知らなさそうなおじさんだなぁ」なんて思ってました。
本日18:00に公開した「挑戦者、シマノ」を書いてくださった山口和幸さんです。

山口さんと初めてお会いしたのは、僕がまだメッセンジャーをやっていた25歳のとき。自転車ライターになりたいという想いが強まり、知り合いのショップ店長のところに相談に行ったわけです。「自転車ライターになりたいんですけどどうすればいいんでしょう?」。

そのときは「とりあえずブログでも始めて文章書く練習したら?」くらいの感じだったんですが、一ヶ月後くらいに店長から電話がありました。「知り合いが自転車雑誌作るんだけど、そのロケに同行してみる?」。
学研が出していた「Bicycle Bicycle」というムックでした。そのVol.2で、ツール・ド・千葉の事前実走記事のライダー役として呼ばれたわけです。

そのロケにライターとして来られていたのが山口さんでした。山口さんはツール・ド・フランスの取材で有名なスポーツジャーナリストで、2003年に「シマノ 世界を制した自転車パーツ」(光文社)という本を執筆されいます。
もちろん当時の僕は発売されてすぐに買って読んでました。でも、店長はそんな人が来るなんて一言も言ってくれてなかったから、最初は全然気付きませんでした。だから「なんか自転車知らなさそうなおじさんだなぁ」(笑)。

しかし千葉への車中で、山口さんがカメラマンと「○年のツールの○ステージが終わってから食べたムール貝がさ……」とか「あのときの世界選でキアプッチが……」なんて話してるのを聞いて、「え、この人何者? つーか山口さんって、あの山口さん?」って気が付くわけです。

たぶん店長は、僕のためにきっかけを作ってくれたんです。「山口さんに相談してみろよ」ってことだったんです。で、山口さんにも「自転車ライターになりたいんですけど」と相談。ロケの合間に、山口さんはいろいろとアドバイスをしてくれました。

そのロケの数か月後に山口さんから電話がかかってきて、「自転車のポータルサイトを立ち上げるから手伝ってみない?」と。そこでこの業界に入ることになるわけです。サイスポに僕を紹介してくれたのも山口さんでした。山口さんがいなかったら僕はこの仕事をしてないでしょう。

そんな恩人に、このLa routeで原稿を書いてもらえたことは、僕にとってちょっと誇らしいことでもあるんです。

とはいえ、読者の方々には僕と山口さんの関係なんて重要ではありません。
皆さんにとって大切なのは、この原稿が面白いか否か。
自分の自転車人生を豊かにしてくれるかどうか。
そういう意味でも、この「挑戦者、シマノ」は意義のあるものだと、手前味噌ながら思います。

100周年を迎え、今やロードコンポにおいては飛ぶ鳥どころか飛行機あたりまで落としそうな勢いのシマノ。そんな絶対王者にも、足掻いていた時代があった。様々な挫折があった。それを知ることは、日本のロード乗りにとって、大きな意味があると思うんです。

これは、シマノの経営者や開発者に時間をかけて貴重な話を聞いた山口さんによる、王者が王者になる前の、痛みを伴う成長の物語。
Vol.2もお楽しみに。

(安井行生)