おそらく2時間におよぶインタビュー取材は初めてだったであろう野嵜然新ぜんしん君。こちらの問いかけに一生懸命答えてくれる姿と、何よりその記憶力に驚かされました。
過去のレースのどのコーナーでどんな走りをして、その瞬間どんなことを考えていたのか、さらにまわりの状況がどうだったのかまで、つぶさに覚えているんです。その一端は彼のブログでも見られるので、ぜひこのインタビューと合わせて、時系列順に読んでいただくことをおすすめします。

さて今回、実はお父さんの英樹さんにも少しお時間をいただいてインタビューさせていただくことになっていました。然新君のお話を聞いた上で、幼少期など本人の記憶があやふやなところを補ってもらえればと思ったからです。結果的にその必要はなかったのですが、お父さんの口から、本人が語らなかった意外な事実があらわになりました。

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「家族からも『出なくていいんじゃない?』と言われてギリギリまで悩みました。」

これは然新君が語った、全日本選手権直前の野嵜家の舞台裏。この「出なくていい」という言葉はてっきり、お父さんの発言だと思っていました。ところが…

「直前のマウンテンバイク3連戦が散々な結果で、私は逆にこれ以上落ちることはないと思っていました。でもそこまでのアプローチを見ていて激怒したのは嫁なんです。『YouTubeばかり見ていて全然練習してない。もう然新は大会に出さなくていい!』って」

意外。お母さんとも初めにご挨拶しましたが、然新君のレース活動を少し離れたところから静かに応援していそうなやわらかな雰囲気の方でした。

「いや、むしろ熱いのは母親のほう。入れ込みすぎというくらい献身的なんです。その分、あのときは怒りを通り越して呆れているような状態。然新が出場を決めても『私は絶対現地には行かない』の一点張り。結局、土浦の宿も私と然新の分だけ押さえて大会に向かったんです」

大事な全日本選手権が、初めて母親の応援のないレースになってしまう。

「ところが当日、然新の弟2人をおじいちゃんに預けて、嫁がひとりで土浦まで来たんですよ。こんなことはもちろん初めて。でも私は、何だかんだ言いながらどんな手を使ってでも、嫁は絶対に観に来るだろうと思ってたんですけどね(笑)」

そんな熱血お母さんの応援の甲斐あって、然新君は松井颯良そら君とのあのゴールスプリント制して見事優勝。フィニッシュライン上でのハナ差数センチを後押ししたのは、間違いなくお母さんの強い想いだったのではないでしょうか。

(高山)

photo KAZUTAKA INOUE