東京五輪女子ロードレースは、10年に1度の奇異なレースになった。スタート直後から逃げに入った選手が、最後まで逃げ切って金メダルを獲得するという、ロードレースの定石を覆す大番狂わせが、この大舞台で起きた。オーストリアのアンナ・キーゼンホッファーを、レース前に優勝候補に挙げた者は、彼女の近親者以外にはいなかっただろう。彼らですら、心の底からそう思っていたかは、疑わしい。

前日に行われた男子レースが、ワウト・ファンアールトやタデイ・ポガチャル、リチャル・カラパスといった優勝候補選手によるストレートな力と力のぶつかり合いだっただけに、この女子レースの奇特さはより際立つ。無名といっていい選手が、最初から最後まで逃げ切りで大一番を制すなど、マンガであっても出来過ぎなくらいなのだ。

キーゼンホッファーが博士号を持つ数学者であったことから、「すべては計算だった」「さすがの緻密な走り」といった憶測も飛び交い、さらにこのレースを飾り立てた。出場4名中4名ともがメダルを狙えるという布陣で臨んだ絶対優勝候補のオランダは、エースのアネミエク・ファンフルーテンが2位にも関わらず勝利を勘違いしガッツポーズで入線。のちに事実を知り泣き崩れるという衝撃的な結末も相まって、五輪史上どころか、ロードレース史上を見てもユニークな、どこか奇妙なレースとなった。

だが、騒がしいレースの上辺を取り払って、東京五輪における與那嶺恵理よなみねえりのレースを振り返りたい。彼女だけが、私たちの国で行われたロードレースにおいて、世界と戦う走りを見せた日本人選手だからだ。

オリンピック初参加となったリオではロードレース17位。2回目の出場となった東京では21位に入った與那嶺恵理。この21位という成績を私たちはどうみるべきか。

與那嶺恵理

五輪の1ヶ月前に公表した難症

與那嶺のキャリアや、ひととなりは本記事の後半で紹介するとして、ここでは彼女がヨーロッパに拠点を置くプロ選手であること。そしてトップレベルのUCIウイメンズワールドツアーレースにおいても存在感を示す選手であることを記すにとどめる。そんな彼女が母国での五輪で期したのは、「アネミエクのようなベスト・オブ・ベストの選手が発射した後の、セカンドプロトンでフィニッシュする」という目標だ。

『メダルを狙います』というリップサービスもなく、ただただ現実的な目標だが、それは日々ヨーロッパのトップレースを戦う中で必然的に身についたものだ。母国のレースだからといって、ミラクルが起こるわけではない。それに現在の女子プロトンのトップ中のトップ選手は、実力が他の選手より図抜けているのも明らかな事実だ。與那嶺が名を挙げたアネミエク・ファンフルーテン(オランダ)、リオ金メダリストのアンナ・ファンデルブレッヘン(オランダ)、ロンドン金メダリストのマリアンヌ・フォス(オランダ)ら少人数の選手が、ワールドツアーレースで勝ち星を分け合っている。そして五輪にあっては、この3名はみなオランダ代表としてレースに臨む。

そんな銀河系軍団の隙をついてメダルを狙う他国の選手たちも、超一級。そこに割って入ろうというのが、與那嶺の目指すところだ。

だが與那嶺は万全の体制で五輪の準備ができたわけではなかった。延期となったオリンピックイヤーが始まると、原因不明の不調に悩まされ続ける。ペダルを踏む右足に力が入らなくなる症状「イリアック」が判明したのが五輪まで1ヶ月強というタイミングだった。自転車選手に稀にみられる血流障害とそれに伴う筋肉の機能低下は、手術をすることが改善への処置だが、目の前の五輪に間に合わなくなる。與那嶺の選択は、即時の手術ではなく、バイクのポジションを変更すること。可能な限り身体に負荷をかけずに、パフォーマンスを発揮する方法を探ることになった。

「オリンピックはレースそれ自体よりも、レースに臨むまでの1ヶ月間のほうが私にとって大事でした。具体的には、どこまで去年の世界権までの状態に持っていけるかというプロセスです」(2020年にイタリア・イモラで開催された世界選手権ではメイン集団でゴールし21位。奇しくも今回の五輪と同じ順位を獲得している)

レースに臨むに当たっての不安要素だが、あえて公表することを選んだ。覚悟を決めて、東京のスタートラインに着いたのだった。

「世紀の大番狂わせ」の実際

レースはリアルスタート直後に、キーゼンホッファーのアタックをきっかけに5名の逃げグループが形成された。オランダやドイツといった有力国が集団を落ち着かせ、タイム差を開かせるという「定石通り」の展開。だが誰が、この0km地点のアタックが金メダルにつながる動きだと予想し得ただろうか。

中堅選手たちによる逃げを過小評価したか、あるいはすでにチームに綻びが生じていたか。集団を牽引すべきオランダがその責を果たさぬまま、タイム差は縮まらずに道志みちの登坂に入った。

ここで優勝候補のファンフルーテンら有力選手の動きが起こり集団は活性化。道志みちを登り切ってからの緩斜面でセレクションがかかり、15名ほどまでに選手が絞り込まれた。

この瞬間が、與那嶺の狙っていたポイントだった。アシュリー・ムールマン(南アフリカ)、セシリー・ウトラップ・ルドヴィグ(デンマーク)、カタジナ・ニエヴィアドマ(ポーランド)、マルタ・カヴァッリとエリザ・ロンゴボルギーニ(イタリア)といったベスト・オブ・ベストを含む世界トップの15名に残れた意味は大きい。

ちなみにこのセレクションがかかったタイミングは、コーチの武井きょうすけ氏によると與那嶺は295wで11分30秒、実に体重の6倍の出力で踏み続けたという。

「普段のヨーロッパのレースなら、そこからローテーションが回るので決まるはずでした。でも回らなかった。エース級の選手を2人残した国が、どちらかのために脚を使って先頭を追うべきだったのに、どの国もそれを嫌がった1通常のロードレースでは、同じチームから2人以上が逃げグループに入った場合、エース一人を勝たせるためにアシスト役の選手が自己犠牲を払ってチームの成績を優先する。しかし、国別対抗の五輪では、選抜された選手が通常は各チームのエースクラス(=勝てるチャンスがある)であり、自分のメダル獲得のために他の同国人選手のアシストに回るという発想が生まれにくい。今回前に残った約15名のうち、イタリアやスペイン、オランダは複数名をここに送り込んだが、アシストに徹する選手はいなかった。みな自分の成績を求めるという、五輪ならではの現象。。みんな自分の成績を意識したんです」

定石通りのレースであれば、この『勝ちグループ』に残れた時点で與那嶺の走りは成功だった。しかし五輪特有の利害関係もあって、このグループは後続の選手たちに追いつかれることになった。強豪国に合わせるしかない彼女にとっては、数字上の順位はこうした展開に左右されることになる。

だが一方で、激しいアタックの応酬という展開にならなかったことは彼女に味方をしたとも言える。アタックをフォローする、高強度で数十秒という走り方が、最も脚の症状に響くからだ。

結局メイン集団は一塊のまま富士スピードウェイへ。残り6km地点で、2位と3位の位置で逃げ続けていた選手をキャッチ。攻撃に打って出たファンフルーテンを初めとした他の選手たちのほとんどが、もう前に逃げている選手はいないと考えていた。與那嶺も、レース全体の状況が掴みづらかったと述懐する。

「選手が前で逃げているのは分かっていましたが、モトで表示されるタイムボードの字が薄くて細くて、他の選手もよく見えていなかったと思います。前が1人と2人に分かれていることも知らなくて。コミッセールカーが連なってるのを見て、まだ前に選手がいるなと」

タイム差も、前の人数も明確に分からない状況の中で、フィニッシュゲートのタイム表示がなかったことも、さらに混乱をきたしたという。

「富士スピードウェイのフィニッシュゲートを通過する時に、先頭の選手の名前とタイム差の表示がなかったんです。普通のレースならあるんですが。フィニッシュでも表示されていませんでした。それがあれば、さすがにアネミエクもガッツポーズはしなかったと思います」

かくして、キーゼンホッファーが単独で金メダルを獲得するとともに、2位のファンフルーテンが勝利を確信してガッツポーズをするという歴史的なフィニッシュとなった。

與那嶺恵理

與那嶺の21位がもたらす価値

與那嶺自身は、ファンフルーテンのペースアップにより崩壊したメイン集団から42秒遅れの21位でフィニッシュを果たした。このメイン集団の先頭はオランダのフォスで5位。ここが、與那嶺の掲げる「ベスト・オブ・ベストの選手が発射した後の、セカンドプロトン」だ。ここから僅かに遅れはしたものの、確かにトップレベルの選手たちと渡り合った。そしてその一部始終は、ロードレースファンも、あるいは普段はロードレースを見ないような一般視聴者の目にも焼きついた。母国開催のオリンピックで常に先頭グループで展開したことの意味は小さくない。

「自分としてはレースが全く走れない状態から、この位置でフィニッシュできるまで、最後までレースできたことは納得しています」

ロードレースにおいて、選手に「目標は何位ですか?」と聞くことは、優勝候補から「優勝です」という回答を引き出す以外には、あまり意味のない質問かもしれない。ロードレースの順位がそれだけ流動的であることを踏まえて、與那嶺のリオの17位から東京の21位という結果をどう捉えるべきか。

ロードレースでは結果が全てといわれる。2位と3位にも栄誉が与えられるのは唯一五輪だけかもしれない。21位。数字は決して印象的なものではない。だがワールドベストの選手たちと対等以上の走りを見せ、メダル争いのグループで展開したそのプロセスを、日本で最も注目の集まるレースで見せたことは未来につながる成果だ。同時に、世論がこのプロセスを正当に評価し讃えられるように、ロードレースという競技の理解を広めなくてはならない。これはメディアがやらなければならない仕事でもある。

與那嶺恵里の21位は未来に投げかけられている。それに応えるのは、彼女自身か、あるいは他の選手かは分からない。しかしこの機会に、彼女のキャリアを改めて紹介しつつ、日本のロードレースの行く先を期待したい。

「ストーリーなんて、
ありません。
そこにはただ
現実があるだけです

(與那嶺)

市場価値原理との訣別

與那嶺は、日本人の女子選手として唯一ヨーロッパのトップカテゴリーで走るプロ選手だ。平たく言えば、新城幸也(バーレーン・ヴィクトリアス)や別府史之(EFエデュケーションNIPPO)と同じ土俵で戦うヨーロッパプロということになる。女子ロードレースは、2016年に男子同様にUCIワールドツアー制度が導入され、グローバルスポーツとしての発展の最中にある。男子ワールドツアーレースが女子レースを開始したり、これまで録画放送だけだったレースもライブで中継・配信されるようになるなど、一般のロードレースファンが女子レースを観る機会も増えてきた。日本でもJ SportsやGCNといった放送局が日本語の実況解説を付けてライブで配信を行っている。

そんな変化の最中にいて、プロ選手でいることに自覚的なのが與那嶺だ。彼女が自ら記すnote(毎回読み応えがある)には、プロ選手として「稼ぐ」ことの実際が語られているし、時に赤裸々な心情吐露もそこに綴られている。だがそこに通底しているのは、プロ選手とは何か、を自らの活動を通して正しく伝えたいという彼女の想いだ。

日本ではヨーロッパでプロ選手になることはいまだに「夢」の文脈で語られがちだ。具体的な道筋を描くことよりも、少年漫画のような努力・挑戦・勝利というストーリーを描く方が多くの人を惹きつけるし、ファンがつく。その中では、生々しいお金や契約、生活の苦労といった話は敬遠される。プロの野球選手やサッカー選手は年俸がニュースになるが、こと日本人ロード選手においては、年俸の話は話題にならない。金額よりも、「ヨーロッパで走っている」という事実の方が、日本においては市場価値があるからだ。

與那嶺がプロ選手であることに自覚的である、という意味は、この日本の市場価値原理と早々に訣別したことにある。

「ストーリーなんて、ありません。ただ現実があるだけです」

朗らかに、しかしきっぱりと與那嶺は言う。2015年の全日本選手権で、ヨーロッパプロとして活躍する萩原麻由子と伍して走りロードレース・個人タイムトライアルのタイトルを分け合うと、2016年春にはアメリカ籍のチームと契約し渡米。夏にはリオで自身初の五輪に出場し、ロード17位、TT15位という成績を収めた。この年の終わりにフランスの名門FDJと契約を果たし、ヨーロッパでトップレースを走るプロ選手となった。彼女の歩みを見ると、確かにヨーロッパという夢を追いかけてプロ選手になったわけではない。自身の能力と目標に見合った環境を選び、ステップアップしていった先にヨーロッパのサーキットがあった、ということのようだ。

「私の一番の目的は、
ヨーロッパでいい走りをして
評価されること

(與那嶺)

再生産され続ける努力・挑戦というストーリー

ヨーロッパでジュニア時代に下積みをして、U23で才能を開花させプロ契約を勝ちとる。日本では別府史之、そして新城幸也のキャリアが示したこの方法論は長らく正当なプロのなり方として後に続く日本人選手たちのロールモデルとなった。ヨーロッパの選手と同じ土俵で、同じプロセスでプロになる。このことがどれだけ難儀であるかは、彼ら2名のあとに同じ道のりでプロになった選手が現れていないという事実が雄弁に語っている。そしてそれが難しいからこそ、「夢」を頂点に据えた努力・挑戦・勝利というストーリーが再生産される。「夢」はとかく犠牲の上に成り立つものだ。だから構造的に搾取されやすい。夢ドリブンの欧州挑戦に、どれだけの日の目をみない若い才能の芽があったのだろうか。

それでも「ヨーロッパ信仰」は深い。アンダー世代を終えてから、個人スポンサーを得てアメリカのチームでの活動を挟みヨーロッパに渡った與那嶺の歩みは、「正攻法」ではないのではないか?

「私は、みんなから『正攻法じゃない』って思われていると思います。『與那嶺恵理には武井(コーチ)がいるからだ』とか『金を積んでいるからだ』とか言われますが、私は自転車において親から一切援助を受けたことはないですし、社長(武井氏)には『自分で稼げないなら大学で自転車辞めろ』とも言われていました。だから必死で稼げるようにやってきたんです」

この返答を得て、與那嶺のキャリアを異端扱いしていた自らの問いを恥じた。私自身が、ヨーロッパ信仰の末に、別府・新城に続く選手が欧州を経由して現れないことを嘆いていた。広い目で見れば、夢物語の搾取側と言えるかもしれない。欧州でキャリアを積みプロになることがひとつの(正当に見える)方法なら、アメリカ経由でステップアップすることもまたひとつの方法だ。重要なことはなり方ではなく、プロとして活躍すること。その意味で、2021年の今トッププロとして活躍し、五輪でも世界に通用する走りを見せた與那嶺の歩みは正しいものだ。

「正攻法だとかそうじゃないとか言っていないで、こうした方がいいということをやればいいだけだと思います。JCFの強化指定に入らなくたってヨーロッパでレースはできるし、こっちでレースをして結果を出せば、契約は取れます」

「Just a bike race、です。別にただの自転車レース。誰かのためじゃありません。自分が欲しいから毎年帰国して全日本のタイトルを獲るわけで、誰かを喜ばせるために日本一になるんじゃない。自分が欲しいから、他の選手がチャンピオンになるのが嫌だから、です。私の一番の目的は、ヨーロッパでいい走りをして評価されることで、ヨーロッパで生活するのが楽しいから自転車レースを頑張っているんです。こうやって景色のいい高地で合宿ができたり」

トップアスリートらしく、発言は明快で切れ味がいい。それゆえに誤解を招くこともあるだろうが、実際に話をしてみると物事を客観的に見ているがゆえの、率直さであることもわかる。

ヨーロッパのUCIレースで勝つために

このあとは世界選手権の出場を経て、イリアックの手術に臨むという。それは選手としてのキャリアをさらに広げて行くためだ。選手として、達成したいことは? の問いにもすぐに答えが返ってきた。

「ワールドツアーならベストですが、ヨーロッパのUCIレースで勝つことです。それで目標達成です。ただ私が勝てるかどうかは運の問題です。ケイティ・コンプトンの例22020年9月に行われた競技外テストで外因性アナボリックステロイドで陽性と判定、USADA(米国アンチ・ドーピング機構)から出された4年間の出場停止処分を受け入れ、42歳のケイティ・コンプトンは引退を表明した。コンプトンはアメリカで最も尊敬される女性サイクリストの一人で、シクロクロスでは国内選手権15連覇を果たしていた。常々ドーピングに対し厳しい姿勢をとっていた彼女から陽性反応が出たことで、アメリカではドーピング検査精度や検査体制の問題、アスリートの倫理観に関して議論を呼んでいる。もありましたが、ドーピングの問題もありますし。だからといって他の選手もやっているから私もやらないと勝てない、という考えになると終わりです」

五輪でもベスト・オブ・ベストの強さを見ることになったが、彼女たちを相手に勝つためのイメージも、ちゃんとある。

「自分が勝つには、ステージレースの中で逃げること。スプリントがないことは他のチームにも知られちゃっていますが、位置取りの上手さには自信があるので、大事なところでエースを前に連れて行く走りを。それができない場合には前でかかるアタックに反応して行く。そこでチャンスが生まれるかもしれません」

與那嶺が所属するアメリカ籍のチーム、ティブコ・シリコンバレーバンクは来季からワールドツアーチームに昇格する。自らが自由に走れるレース環境を求めて昨年に移籍したチームだったが、再びヨーロッパを中心としたトップレースへ参戦することになる。自身も語る通り、位置取りスキルに長けた與那嶺は、紅白のナショナルチャンピオンジャージと相まってレースでは集団の前方によく位置している。ワールドツアーレースには、ライブでのレース配信が義務付けられているから、彼女の走りを観る機会がぐっと増えそうだ。ぜひ来シーズンは、女子ロードレースの観戦を楽しんでほしい。そして改めて、母国開催の五輪で見せたあの走りの価値を、観る人それぞれで感じてほしい。

與那嶺恵理

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