映画「タイタニック」の一番の泣き所といえば、やっぱり最後のシーンということに一般的にはなってるんでしょう。ジャックがローズを助けるために、板切れから手を放して沈んでいくあのシーン。

「どんなことがあっても、生き残ると約束してくれ」―― と、極寒の氷海の中でローズに語り掛けるジャックを見ながら、「声震えすぎててちょっとなに言ってっか分かんないし」とけらけら笑っていたのは、何を隠そうこの僕でした(あの映画の一番の見どころは、タイタニック号の心臓であるレシプロ蒸気機関の描写ですよね。あのピストンの大きさ! あのコンロッドの長さ! 見ました?)。

とまぁそんな鋼の心(?)の持ち主であったはずのこの僕ですが、激坂さんの文章はだめでした。第一回の、一人息子君の下りで早くも涙腺が……(まだ日本縦断スタートしてないのにw)。
その後も、原稿に一人息子君が登場する度に、激坂さんの子供に対する想いが僕のそれとオーバーラップして、PCのディスプレイが眼球表面に発生する水幕でぐにゃりと歪んでしまいます。目の前に座っているLa routeメンバー高山にばれないようにするのが大変でした。

メディアにはほぼ初登場となる激坂さんになぜ記事を書いてもらうことになったのかは第一回の序章を読んでもらえば分かりますが、最初原稿を依頼したときは、どんな文章が届くのか全く分かりませんでした。激坂さんはライターではありませんし、ブログもやってない、SNSの類もそれほど熱心ではない、文章を書いた経験もさほどない、とのことでしたから。

まぁどんな文章であっても、激坂さんのこの挑戦には価値があり、そのレポートを読んでみたいという想いは変わらなかったので、いい文章でなくとも編集部側で手を加えてなんとか記事にはできるかな……と思っていたのですが、届いた文章を読んでびっくり。最初から激坂ワールドに引き込まれてしまいました。只者ではないと思い、「たくさん本を読んでこられたんでしょう?」とお聞きしたら、とりたてて熱心な読書家というわけでもない、とのこと。

もちろん、激坂さんから送られてきた原稿は、ルールに則っての表記変更や、専門用語の解説の追加や、分かりやすくするための多少の修整はしていますが、どんな原稿にも発生する通常の編集作業の範囲内。大きく手を加えたり、文章を新規で追加したりはしていません。

ライターを長くやっていると、表面的なテクニックが身についてしまい、どんな題材でもそれなりにキレイにまとめられるようになるものです。でも、そういう薄っぺらい文章で人の心を打つことはできない。

激坂さんの文章には、そういうあざとさが全くありませんでした。2,700kmという長い長い行程の中に、激坂さんの生の感情が生のままにちりばめられている。朴訥とした文章の中に、心に深く突き刺さる一文がある。そんな原稿です。所々にユーモアもちりばめられており、そんな中から「もはや縁石は枕」という名言も生まれました(笑)。

なぜいきなりこんな文章が書けるのだろう。全くもって不思議でしたが、激坂さんの職業が影響しているのではないかと思いました。詳しくは書けませんが、激坂さんは人の人生と向き合わざるを得ない、過酷なお仕事をされています。その経験の重なり合いが、文書ににじみ出ているのではないかと。

激坂さんは、2,700kmを走り終えた直後から、激務の中(帰宅翌日から出勤されていたそうです)、苦労してこの4万文字にもなるレポートを書き上げてくださいました。原稿と一緒に届いた写真を見ると、セルフタイマーを使っての撮影をしてくださっており、時間に追われる過酷な挑戦中にお手間をとらせてしまった様子。軽い気持ちで「写真もよろしくです~」なんてお願いしたことをちょっと後悔してしまいました。

激坂さん、本当にありがとうございました。原稿が届くのが楽しみで楽しみで、毎回一気に読んで、毎回うるっとさせられてました。最終回を読み終えたときは、「もう読めなくなるのか……」という喪失感すらありました。

お礼ついでに……激坂さんの奥様。激坂さんを優しく(?)送り出していただき、ありがとうございました。僕がお礼を言うのもおかしいかもしれませんが、奥様のおかげで、僕らはこの文章を読むことができました。今後も激坂さんは無茶な挑戦に出かけるかもしれませんが、そのときはまた「早く行って!」と、背中を蹴り出してあげてください(笑)。

そして、記事の中に何度も出てきた激坂さんの一人息子君へ。
ゴールデンウイークにパパがいなくて淋しかったと思いますが、我慢してくれてありがとう。君のパパは2,700kmを走っている間中、ずっと君のことを想っていましたし、君以上に淋しい思いをしていたと思います。僕たちに大きな感動をくれた今回のパパの挑戦は、君の未来にもいい影響を与えるものになるはずです。
僕にも6歳になる一人息子がいます。僕が君のパパくらいの年齢になったとき、僕の息子はちょうど今の君くらいの年齢になります。君みたいないい子に育ってくれるといいなぁ。

最後に、原稿執筆を終えた激坂さんから届いた挨拶をもって、「“激坂さん”の日本縦断ブルべ参戦記」の締めとしたいと思います。

「速くもなく強くもない、世の中を彷徨っている小さな自転車乗りに、このような執筆の機会を与えてくださった関係者の皆さま。大変貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました。少しだけ人生に光が射した思いです。そして、読んでくださった読者の皆さま。自転車に乗って放浪している部分に共感してもらえたのなら、それによってまたペダルを回していただけるのなら、こんなちっぽけな自分でも少しはお役に立てたかなと嬉しく思います。それではまたどこかで……」

(安井)