気が付いたらアメリカに24年

1978年、新潟県生まれの冨井 直さん。学生時代の留学をきっかけにアメリカに移住。現在は、テキサスの州都であるオースティンで「Tomii Cycles」として活動している。

田辺:ナオさんと初めて会ったのは確か2011年。当時はTomii Cyclesを立ち上げた直後だったはずなので、それ以前の話を詳しく聞かせてもらえますか?

冨井:子供の頃から絵を描いたりプラモデルを作ったりするのが、自分で言うのもなんだけど上手だったんだよね。学校では図工とか美術の成績は常によかったよ。他の科目は全然ダメだったけどね(笑)。運動とか部活とかもやっていなかったから中学の時はいわゆる帰宅部だったんだけど、帰り道にホームセンターに寄るのが楽しくて楽しくて毎日のように行ってた。ネジとか部品、工具とか変なもの、見たことないものがたくさん売っているからそれを見るのが本当に好きだった。あとはクルマとかモーターサイクル。乗り物は小学校かそれよりももっと前か、とにかくずっと好きなものだね。

田辺:アメリカに来るきっかけって何だったんですか?

冨井:高校3年の時に進路をどうするかで少し悩んだんだよね。クルマの整備とかにも興味があったからそういう専門学校を目指すのか。それとも美術とか絵を描くのも好きだからアート系の学校を目指すのか。それでアートの方が何となく楽しそうだよなーと感じてそっちに進もうと思ったんだ。

田辺:クルマのメカニックとアート、だいぶ方向性が違いますね。

冨井:結局、地元の新潟にあったデザイン専門学校のファインアート科に入って2年間通った。その学校はボストンにある美術大学と提携してて、アメリカに留学できるプログラムも用意してたんだ。アメリカに行くことになったのは、それがきっかけ。今思うとそのプログラムがなかったらアメリカに行くことはなかったかもしれないね。勉強して試験を受けてアメリカの学校に行く…なんてタイプじゃないからラッキーだったと思う。

田辺:人生の転機だったわけですね。

冨井:アメリカのホットロッドとかのクルマのカルチャーはもちろん、ファッションにも興味があったから、アートを学びたい半分、日本にはない世界やカルチャーを感じたい半分でアメリカに来た。だから最初は2年しかいる予定じゃなかったんだけど気がついたら24年もアメリカにいるね(笑)。

1997年、渡米直前の若き日の冨井さん。写真に写るのはシボレー・エルカミーノ…!

田辺:まだ全然自転車が出てこないんですけど、そこからどうやって自転車に出会ってフレームビルダーになったんですか?

冨井:アメリカの学校にもファインアート科に編入という形で入ったんだけど、3、4年次になると専攻を決める必要があって「スカルプチャー」を選んだんだ。スカルプチャー、日本語にすると彫刻だけど、本来は立体物全般にあたるもの。だから色々な素材を使って3次元のアートを作る感じだね。アメリカの学校は自由で作業場とか工具とかも好きに使ってよかったし、ちょっと田舎にあったのもあって作業場にこもって作品をたくさん作っていたよ。学校内のコンペで賞とかも何回も獲った。

田辺:そのころから金属加工も?

冨井:まだその時は金属での制作はしていなくて、木や石膏を使ってとかだったね。で、2年なんてあっという間で、アートの制作もそうだしアメリカのカルチャーをもっと知りたい想いもあってここに残りたいと思った。でもビザがなくなるしどうしようと思っていた矢先、あるきっかけでアメリカに居続けることができたんだ。

田辺:あるきっかけとは?

recommend post


interview

ビルダー4名が語る、 金属フレームのこれから(前編)

年齢も性格もビジネスの形態も使う素材も考え方も違う。しかし日本のオーダーフレーム界を背負って立つという点では同じ。そんな4人のフレームビルダーが、各々のフレームを持ってLa routeの編集部に集まってくれた。金属フレームの可能性について、オーダーフレームの意味について、業界の未来について、モノづくりについて、忌憚なく語り合うために。その会話の全記録。

2020.04.24

interview

ビルダー4名が語る、 金属フレームのこれから(後編)

年齢も性格もビジネスの形態も使う素材も考え方も違う。しかし日本のオーダーフレーム界を背負って立つという点では同じ。そんな4人のフレームビルダーが、各々のフレームを持ってラ・ルートの編集部に集まってくれた。金属フレームの可能性について、オーダーフレームの意味について、業界の未来について、モノづくりについて、忌憚なく語り合うために。その会話の全記録。

2020.04.24

interview

門田祐輔(23)プロロードレーサー| 迷いなき夢

彼と出会ったのは、忘年会だった。180cm弱のスラリとした長身とニカッと笑う笑顔が印象的で、聞けば今期からUCIのコンチネンタルチームである「EFエデュケーションNIPPO・デベロップメントチーム」に所属するプロロード選手だという。名前は門田祐輔、年齢は23歳。国内メディアへの露出は少なく日本国内ではほぼ無名ではあるものの、ヨーロッパでレース経験を積み、「ツール・ド・フランス」への出場を目論んでいる。なぜヨーロッパにこだわるのか。その原動力はどこにあるのか。新たにスタートする連載企画「若者たちの肖像」の第1回は、出国直前の門田祐輔選手にインタビューし、彼の生き様をお届けする。

2022.02.28

interview

冷静と情熱の間に――。高岡亮寛の自転車人生(前編)

U23世界選手権出場者、外資系金融機関のエリートサラリーマン、「Roppongi Express」のリーダーでありツール・ド・おきなわの覇者、そしてついには東京の目黒通り沿いに「RX BIKE」のオーナーに――。傍から見れば謎に包まれた人生を送る高岡亮寛さんは、一体何を目指し、どこへ向かっていくのだろうか。青年時代から親交のあるLa routeアドバイザーの吉本 司が、彼の自転車人生に迫る。

2020.05.30

interview

変わりゆくプロトン、変わらない別府史之

別府史之、38歳。職業、ロードレーサー。日本人初となるツール・ド・フランス完走者のひとりであり、高校卒業後から現在に至るまで、数えきれないほどの功績を日本ロードレース界にもたらしてきた人物だ。今回のインタビューは、フランスに拠を構えている別府が帰国するという話を聞きつけ急遽実施。インタビュアーは、別府史之を古くから知る小俣雄風太が務める。

2021.06.21

interview

レックマウント開発者インタビュー│ “夢中”と“熱中”が原動力

ライトやサイコン、スマホやアクションカムといったデバイスを、ハンドルに取り付けるためのマウントを専業にしている会社がある。もしかしたらご存じの方もいるかもしれない。「レックマウント」だ。2万通り以上という圧倒的なバリエーションで他社の追随を一切許さないレックマウントは、いかにして生まれたのか。代表を務める山﨑 裕さんは一体何者なのか。自身もレックマウントを愛用するライターの石井 良が、千葉県の本社を訪れインタビューを行った。

2021.07.05

interview

與那嶺恵理の現在地

女子プロロードレーサー、與那嶺恵理。日本国内で活躍後、2016年にアメリカのチームと契約し、その後フランスの名門チームにも所属。現在は、来期ワールドツアーチームに昇格する「ティブコ・シリコンバレーバンク」で、日本人の女子選手として唯一、ヨーロッパのトップカテゴリーで走る選手だ。「Just a bike race。誰かに言われて走るんじゃなく、自分がここでレースをしたいから走る――」。自身にとってのロードレースをそう評した與那嶺。彼女へのインタビューをもとに東京五輪を振り返りながら、日本のロードレース界を、そして與那嶺恵理の現在地を、La routeでおなじみの小俣雄風太が探る。

2021.09.06

interview

変わりゆくプロトン、変わらない別府史之

別府史之、38歳。職業、ロードレーサー。日本人初となるツール・ド・フランス完走者のひとりであり、高校卒業後から現在に至るまで、数えきれないほどの功績を日本ロードレース界にもたらしてきた人物だ。今回のインタビューは、フランスに拠を構えている別府が帰国するという話を聞きつけ急遽実施。インタビュアーは、別府史之を古くから知る小俣雄風太が務める。

2021.06.21

interview

夢の続きを

2021年1月23日。女子プロロードレーサー、萩原麻由子のSNS上で突如として発表された引退の二文字。ジャパンカップで9連覇中の沖 美穂を阻んでの優勝、カタール・ドーハで開催されたアジア自転車競技選手権大会での日本人女子初優勝、ジロ・ローザでの日本人女子初のステージ優勝――。これまで数々の栄冠を手にしてきた萩原は、何を思い、引退を決意したのか。栄光と挫折。挑戦と苦悩。萩原麻由子の素顔に迫る。

2021.02.22

interview

「東京⇔大阪キャノンボール研究」管理人 baruさんに聞く|24時間で駆け抜ける、東京〜大阪520km

東京から大阪、その距離およそ520km。通常なら3〜4日かけてのぞむようなロングライドだ。しかし自らに24時間というタイムリミットを課し、出発日時をネット上で宣言した瞬間、520kmの移動は“ツーリング”から“キャノンボール”へと意味を変質させる。多くのサイクリストにとって未知の領域であるこのキャノンボールについて、ウェブサイト「東京⇔大阪キャノンボール研究」の管理人にして、過去に2度のキャノンボール成功を達成している「baru(ばる)」さんにインタビュー。サイクリストを惹きつけるキャノンボールの魅力から、明快な論理で導き出される攻略法に至るまで、じっくり教えてもらった。

2022.01.31

column

タイムに願いを

ある日、ひょっこり安井の手元にやってきた2017モデルのタイム・サイロン。それを走らせながら、色んなことを考えた。その走りについて。タイムの個性と製品哲学について。そして、タイムのこれからについて―。これは評論ではない。タイムを愛する男が、サイロンと過ごした数か月間を記した散文である。

2020.04.24

interview

自転車メディアは死んだのか(前編)

『サイクルスポーツ』と『バイシクルクラブ』という、日本を代表する自転車雑誌2誌の編集長経験がある岩田淳雄さん(現バイシクルクラブ編集長)と、La routeメンバー3人による座談会。雑誌とは、メディアの役割とは、ジャーナリズムとは――。違った立ち位置にいる4名が、それぞれの視点で自転車メディアについて語る。

2020.06.29

interview

今までこの世になかったものを。スージーステム開発ストーリー(前編)

77度という絶妙な角度。35mmという狭いコラムクランプ幅。7.5mmオフセットしたハンドルセンター。今までなかったフォルムを持つスージーステムは、誰がどのようにして生み出したのか。開発者本人へのインタビューを通して、ステムといういち部品の立案から世に出るまでのストーリーをお届けする。

2020.09.14

column

メカニック小畑 の言いたい放題(Vol.1) ロードバイクにディスクブレーキは必要か?

なるしまフレンドの名メカニックにして、国内最高峰のJプロツアーに参戦する小畑 郁さん。なるしまフレンドの店頭で、レース集団の中で、日本のスポーツバイクシーンを見続けてきた小畑さんは、今どんなことを考えているのか。小畑×安井の対談でお届けする連載企画「メカニック小畑の言いたい放題」。第1回のテーマはディスクロード。リムブレーキとの性能差、構造上の問題点などを、メカニック目線&選手目線で包み隠さずお伝えする。

2020.11.23