2つめのメインディッシュ

自転車人生屈指の想い出になった乗鞍自転車旅。壮大な景色と素晴らしい道、そして冷泉小屋に後ろ髪を引かれつつ山を下り、三本滝駐車場でバイクを分解して車に積む。

しかし、今回の旅はまだ終わらない。もう一つのメインディッシュが残っている。
のりくらコミュニティマウンテントレイルズ(以下NCMT)である。

国立公園内に誕生した日本初のパブリックトレイルということでLa routeも注目し、NCMTのキーマン2人(のりくら観光協会会長の宮下了一氏、ノーススター代表の山口 謙氏)へインタビューを行い、ハシケンさん(ジャーナリストの橋本謙司さん)の筆によって昨年記事にした

ここまで来たなら、2022年6月に本格オープンしたNCMTを走らずに帰るという選択肢はない。
1日目にロードバイクで乗鞍を思いっきり楽しみ、冷泉小屋に泊まり、2日目にNCMTで本格的なトレイルを体験する。今回の自転車旅は、ロードとMTBの両方を楽しむ自転車三昧ツアーでもある。
せっかくだから、NCMTの体験記と、NCMTの生みの親でもある山口さんへのインタビューを、連載「日本のオフロードを考える」の第4回としてお届けしたい。

NCMT の利用方法は少々分かりづらいのだが、MTBを所有しており、オフロード経験が豊富なら、以下の手順でOKだ。
(1)ウェブサイトでトレイル整備協力金(2,500円)を支払う。
(2)領収メールを乗鞍ベースもしくは、観光センター内のギフトのりくらで提示。
(3)リストバンドを受け取り、コースに入って利用開始。
なお、トレイル利用時間は9~16時半で、最終受付は15時となる。

MTBを持っておらず、オフロード走行にも不慣れだが、本格的なトレイルを走ってみたい……という人(まさにこの僕だ)は、ノーススターの扉を叩いて、レンタルバイク付きガイドツアーに参加すべきだ。理由は後述する。僕は事前に山口さんにメールで連絡を取り、ツアーの予約をしておいた。

約束の10時半、乗鞍観光センター近くにあるノーススターに車を停めると、ちょうど山口さんが午前中のトレイルツアーを終えて帰ってきたところだった。これまではリモートでのインタビューとメールでのやり取りだけだったので、実際にお会いするのは初めて。優しい笑顔の頼もしい山男だった。

乗鞍高原にあるアウトドアスクール&コンドミニアム、ノーススター。アクティビティのガイドツアーなども手掛けている。
山口 謙さん。ノーススター初代代表のダニエル・ジャンカー氏に誘われ、2006年に家族で乗鞍高原に移住。2014年にのりくら観光協会内にトレイル研究会を創設し、NCMTの誕生に尽力した。現在はノーススター代表を務めながら、夏はトレイルライド、冬はバックカントリーツアーのガイドを行う。

recommend post


column

日本のオフロードを考える(Vol.1) ┃この国で土遊びは根付くのか

グラベルロードが盛り上がりを見せており、マウンテンバイクにも追い風が吹いている。一方、課題なのが“走る場所”問題だ。日本の未舗装路は法的に曖昧かつ複雑なことが多く、過去のマウンテンバイクブームでもクリアにならないまま。このままいけば、グレーゾーンだった場所ですら走れなくなる可能性もゼロではない。そこでLa routeは、自転車界のオフロード回帰が進んでいる今、この問題にあえてメスを入れたい。連載企画「日本のオフロードを考える」第1回は、暗部を含め日本のオフロードシーンを長年見てきた山本修二が自身の経験に基づき、「日本ではなぜオフロードの自転車遊びが根付かないのか」について考えた。

2021.10.25

interview

日本のオフロードを考える(Vol.2) ┃今そこにある危機(と希望)

前回からスタートした「日本のオフロードを考える」。第2回では、長野県で12年にわたってマウンテンバイクのガイドツアーを主宰しているトレイルカッターのお2人に話を伺う。トレイル整備の大変さ、日本でMTBを楽しむ難しさ、地域の人々の反対、過去のマウンテンバイカーの素行の悪さ……。グラベルロードがブームになって機材の選択肢が増え、ハードの面では追い風が吹いている。しかしソフト面では向かい風に曝されているように思える日本のオフロードシーン。しかし、そこにも希望はあった。前回に続き、聞き手&書き手は日本オフロード界の先駆け、山本修二だ。

2021.11.29

interview

日本のオフロードを考える(Vol.3) ┃国立公園初のトレイルが生まれた日

課題だらけの日本のオフロードシーンにメスを入れるべく始まった連載「日本のオフロードを考える」。第3回は、日本の国立公園初となるパブリックトレイル、「のりくらコミュニティマウンテンバイクトレイル」(NCMT)を取り上げる。「ヒルクライマーの聖地」として崇められる乗鞍に、突如誕生した本格的なトレイルだ。NCMTの誕生には、どんな裏ドラがあったのか。そして、NCMTは今後の日本のオフロードシーンにどんな影響を与えるのか―。NCMT誕生に尽力した2人のキーマンに話を聞いた。聞き手と書き手は、乗鞍という地に憑りつかれたジャーナリスト、ハシケンこと橋本謙司が務める。

2022.03.30

touring

乗鞍を再発見する私的自転車小旅行|冷泉小屋での白昼夢

岐阜県と長野県の県境にある乗鞍。登山、スキー、温泉などの山岳観光地として知られるが、自転車乗りにとっては「ヒルクライムの聖地」である。1986年からはヒルクライム大会が開催され、多くのクライマーが頂上に向けてペダルを踏む。そんな乗鞍の中腹にぽつんと建っている古ぼけた山小屋、冷泉小屋。16年間閉鎖されていたが、今年リニューアルし営業を再開した。かつてはタイムを縮めるために毎年通っていた安井行生が、数年ぶりに乗鞍を訪れ、冷泉小屋に宿泊。かつての安井にとっては“力試しの場”でしかなかった乗鞍は、今、彼に何を語るのか。

2022.10.03

touring

男ふたり、西伊豆へ(安井行生編)

年齢も、生まれた場所も、自転車との付き合いかたも、文章のテイストも異なる、安井行生と小俣雄風太。ほぼ赤の他人と言ってもいい彼らの共通言語は「自転車が好き」、ただそれだけだ。彼らが向かった先は、西伊豆。小俣と安井がそれぞれの視点で、それぞれが感じたことをお届けする、極私的なふたりぼっちのツーリング記。

2021.05.10

touring

男ふたり、西伊豆へ(小俣雄風太編)

年齢も、生まれた場所も、自転車との付き合いかたも文章のテイストも異なる、安井行生と小俣雄風太。ほぼ赤の他人と言ってもいい彼らの共通言語は「自転車が好き」、ただそれだけだ。彼らが向かった先は、西伊豆。小俣と安井がそれぞれの視点で、それぞれが感じたことをお届けする、極私的なふたりぼっちのツーリング記。

2021.05.10

interview

「東京⇔大阪キャノンボール研究」管理人 baruさんに聞く|24時間で駆け抜ける、東京〜大阪520km

東京から大阪、その距離およそ520km。通常なら3〜4日かけてのぞむようなロングライドだ。しかし自らに24時間というタイムリミットを課し、出発日時をネット上で宣言した瞬間、520kmの移動は“ツーリング”から“キャノンボール”へと意味を変質させる。多くのサイクリストにとって未知の領域であるこのキャノンボールについて、ウェブサイト「東京⇔大阪キャノンボール研究」の管理人にして、過去に2度のキャノンボール成功を達成している「baru(ばる)」さんにインタビュー。サイクリストを惹きつけるキャノンボールの魅力から、明快な論理で導き出される攻略法に至るまで、じっくり教えてもらった。

2022.01.31

touring

“激坂さん”の日本縦断ブルべ参戦記(Vol.1)|ランドヌールは北を目指す

日本最南端の佐多岬から、最北端の宗谷岬まで。総距離2,700km、獲得標高約23,000mを一気に走り切る日本縦断ブルべ。それに人生をかけて挑戦した一人の男がいた。とあるイベントでパールイズミの激坂ジャージを着ていたがために“激坂さん”と呼ばれることになった、一人息子と妻と自転車と山を愛するその男は、なぜこのウルトラブルべを走ろうと思ったのか。国内最速でも、ギネス挑戦でもない、普通の自転車乗りによる日本縦断ブルべ参戦記。Vol.1は、参戦を決めた理由と、本番までの苦悩と苦労を綴る。直前になって頻発するトラブル。激坂さん、身を挺してまでネタを作らなくてもよかったんですが……。

2022.08.01

touring

“激坂さん”の日本縦断ブルべ参戦記(Vol.2)|暴風雨とハイビスカスと友人の激励

日本最南端の佐多岬から、最北端の宗谷岬まで。総距離2,700km、獲得標高約23,000mを一気に走り切る日本縦断ブルべ。それに人生をかけて挑戦した一人の男がいた。とあるイベントでパールイズミの激坂ジャージを着ていたがために“激坂さん”と呼ばれることになった、一人息子と妻と自転車と山を愛するその男は、なぜこのウルトラブルべを走ろうと思ったのか。国内最速でも、ギネス挑戦でもない、普通の自転車乗りによる日本縦断ブルべ参戦記。数々のトラブルに見舞われながら、なんとか準備を終えた激坂さん。vol.2では、出走前日から兵庫までの記録を綴る。トラブルの神様はまだ激坂さんに憑いているようで……。

2022.08.02

touring

“激坂さん”の日本縦断ブルべ参戦記(Vol.3)|中間地点で涙が止まらなくなる

日本最南端の佐多岬から、最北端の宗谷岬まで。総距離2,700km、獲得標高約23,000mを一気に走り切る日本縦断ブルべ。それに人生をかけて挑戦した一人の男がいた。とあるイベントでパールイズミの激坂ジャージを着ていたがために“激坂さん”と呼ばれることになった、一人息子と妻と自転車と山を愛するその男は、なぜこのウルトラブルべを走ろうと思ったのか。国内最速でも、ギネス挑戦でもない、普通の自転車乗りによる日本縦断ブルべ参戦記。疲労と孤独と葛藤を引き連れて姫路までやってきた激坂さん。vol.3ではついに中間地点の1,350kmに到達。しかし起きていられないほどの眠気と、不安と、激痛と、郷愁に襲われ……。

2022.08.03

touring

“激坂さん”の日本縦断ブルべ参戦記(最終回)|2,700kmの先にあったもの

日本最南端の佐多岬から、最北端の宗谷岬まで。総距離2,700km、獲得標高約23,000mを一気に走り切る日本縦断ブルべ。それに人生をかけて挑戦した一人の男がいた。とあるイベントでパールイズミの激坂ジャージを着ていたがために“激坂さん”と呼ばれることになった、一人息子と妻と自転車と山を愛するその男は、なぜこのウルトラブルべを走ろうと思ったのか。国内最速でも、ギネス挑戦でもない、普通の自転車乗りによる日本縦断ブルべ参戦記。体と心を疲弊させながら本州を離れた激坂さん。北海道に上陸してからも様々な出来事が……。日本縦断ブルべ参戦記、遂に最終回。

2022.08.04