男ふたり、西伊豆へ(安井行生編)
年齢も、生まれた場所も、自転車との付き合いかたも、文章のテイストも異なる、安井行生と小俣雄風太。ほぼ赤の他人と言ってもいい彼らの共通言語は「自転車が好き」、ただそれだけだ。彼らが向かった先は、西伊豆。小俣と安井がそれぞれの視点で、それぞれが感じたことをお届けする、極私的なふたりぼっちのツーリング記。
2021.05.10
乗鞍を再発見する私的自転車小旅行
冷泉小屋での白昼夢
岐阜県と長野県の県境にある乗鞍。登山、スキー、温泉などの山岳観光地として知られるが、自転車乗りにとっては「ヒルクライムの聖地」である。1986年からはヒルクライム大会が開催され、多くのクライマーが頂上に向けてペダルを踏む。そんな乗鞍の中腹にぽつんと建っている古ぼけた山小屋、冷泉小屋。16年間閉鎖されていたが、今年リニューアルし営業を再開した。かつてはタイムを縮めるために毎年通っていた安井行生が、数年ぶりに乗鞍を訪れ、冷泉小屋に宿泊。かつての安井にとっては“力試しの場”でしかなかった乗鞍は、今、彼に何を語るのか。
初めて乗鞍に上ったのは、2003年だったか、04年だったか。
当時所属していたメッセンジャー会社の仲間たち十数人と大挙して参戦した「マウンテンサイクリングin乗鞍」。
人生二度目のヒルクライムレースが、いきなり乗鞍だった。当然エコーラインを走るのも初めてで、文字通りぶっつけ本番。前日から緊張で腹を下しながらも、1時間15分ほどで上り切り、次年度のチャンピオンクラスへの参戦権を獲得した。嬉しかった。
それから、乗鞍のヒルクライムレースには毎年参加した。
タイムを縮めるために。パワーメーターを買って、トレーナーにメニューを組んでもらって、真面目にトレーニングをして、レースで上位入賞をするために。毎年数分ずつタイムが縮んでいくのが楽しかった。一時は本気で1時間切りを狙っていたのだ(結局、3分ほど足りず、達成されないままだけど)。
しかし、今から思うと、乗鞍という地の魅力はほとんど見ていなかったように思う。
レース前日に宿泊する温泉宿では、準備と整備とエネルギー補給と休息とチームメイトや練習仲間との作戦会議。せっかくの温泉も、川のすぐ傍の露天風呂という素晴らしいロケーションなのに、ストレッチに精を出すばかり。
当日は当日で、スタート地点まで行き、レースが始まると前の選手のケツしか見ない。全てを出し切ってゴールしたら、悲鳴を上げる筋肉をなだめつつ朦朧としたダウンヒル。あとはそれぞれの結果に一喜一憂しながら、渋滞に巻き込まれないよう速攻で帰る。
そんなこんなで10回以上は上っているはずなのに、乗鞍に来る目的がレース(もしくは練習)だったから、コースも景色もまともに覚えていない。僕にとって乗鞍とは、クライマーとしての力を試す場。一年に一回の計時の場。言ってみれば期末テストのようなものだったのかもしれない。
それはそれでいい思い出だしいい経験だが、我ながらなんだかなぁ、とも思う。
クライマーとしては、一番大切な場所。でも、どんな景色だったか、どんな地だったか、記憶にない。僕にとって乗鞍とは、いったい何だったのだろう。
望郷の乗鞍。
忘郷の乗鞍。
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年齢も、生まれた場所も、自転車との付き合いかたも、文章のテイストも異なる、安井行生と小俣雄風太。ほぼ赤の他人と言ってもいい彼らの共通言語は「自転車が好き」、ただそれだけだ。彼らが向かった先は、西伊豆。小俣と安井がそれぞれの視点で、それぞれが感じたことをお届けする、極私的なふたりぼっちのツーリング記。
2021.05.10
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2021.05.10
東京から大阪、その距離およそ520km。通常なら3〜4日かけてのぞむようなロングライドだ。しかし自らに24時間というタイムリミットを課し、出発日時をネット上で宣言した瞬間、520kmの移動は“ツーリング”から“キャノンボール”へと意味を変質させる。多くのサイクリストにとって未知の領域であるこのキャノンボールについて、ウェブサイト「東京⇔大阪キャノンボール研究」の管理人にして、過去に2度のキャノンボール成功を達成している「baru(ばる)」さんにインタビュー。サイクリストを惹きつけるキャノンボールの魅力から、明快な論理で導き出される攻略法に至るまで、じっくり教えてもらった。
2022.01.31
日本最南端の佐多岬から、最北端の宗谷岬まで。総距離2,700km、獲得標高約23,000mを一気に走り切る日本縦断ブルべ。それに人生をかけて挑戦した一人の男がいた。とあるイベントでパールイズミの激坂ジャージを着ていたがために“激坂さん”と呼ばれることになった、一人息子と妻と自転車と山を愛するその男は、なぜこのウルトラブルべを走ろうと思ったのか。国内最速でも、ギネス挑戦でもない、普通の自転車乗りによる日本縦断ブルべ参戦記。Vol.1は、参戦を決めた理由と、本番までの苦悩と苦労を綴る。直前になって頻発するトラブル。激坂さん、身を挺してまでネタを作らなくてもよかったんですが……。
2022.08.01
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2022.08.02
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2022.08.04