男ふたり、西伊豆へ(安井行生編)
年齢も、生まれた場所も、自転車との付き合いかたも、文章のテイストも異なる、安井行生と小俣雄風太。ほぼ赤の他人と言ってもいい彼らの共通言語は「自転車が好き」、ただそれだけだ。彼らが向かった先は、西伊豆。小俣と安井がそれぞれの視点で、それぞれが感じたことをお届けする、極私的なふたりぼっちのツーリング記。
2021.05.10
“激坂さん”の日本縦断ブルべ参戦記(Vol.1)
ランドヌールは北を目指す
日本最南端の佐多岬から、最北端の宗谷岬まで。総距離2,700km、獲得標高約23,000mを一気に走り切る日本縦断ブルべ。それに人生をかけて挑戦した一人の男がいた。とあるイベントでパールイズミの激坂ジャージを着ていたがために“激坂さん”と呼ばれることになった、一人息子と妻と自転車と山を愛するその男は、なぜこのウルトラブルべを走ろうと思ったのか。国内最速でも、ギネス挑戦でもない、普通の自転車乗りによる日本縦断ブルべ参戦記。Vol.1は、参戦を決めた理由と、本番までの苦悩と苦労を綴る。直前になって頻発するトラブル。激坂さん、身を挺してまでネタを作らなくてもよかったんですが……。
“激坂さん”と出会ったのは、2017年4月に行われたThe PEAKSというロングライドイベントだった。
ただのイベントではない。主催者が「日本最強! 最悪! の山岳ロングライドイベント」と自称するように、走行距離に対して獲得標高が異常に多いのが特徴で、ラウンド3となる熱海は走行距離163km、獲得標高4,841mを11時間以内に走り切らねば完走にならなかった。
熱海峠、十国峠、湯河原峠、亀石峠、山伏峠などを上ったり下ったりを繰り返しながら、各所に設けられたチェックポイントを回る。コース上にガイドはなく、どんなルートで回るかも自分で決めなければならない。
言い訳をさせてもらうと、このとき僕(安井)は子供が生まれた直後で完全に練習不足、早くも中盤から両脚が激しい痙攣に見舞われて徐々に想定から遅れてしまっていた。後半になると、人生初のDNFに怯え始めた。
そんなとき、背中に大きく“激坂”と書かれたパールイズミの通称“激坂ジャージ”を着た参加者と一緒になる。
「コース、こっちですよね……」
「えーっと、たぶん……」
わしゃわしゃの髪。温和な顔。いい人そうだ。自然と一緒に走ることになった。
それが“激坂さん”だ。
「すいません、今自分両脚が痙攣してるんで先行ってください」
「いやいや自分ももう限界なんで……」
なんていう青息吐息の会話を交わしながら、途中で熊谷の自転車チーム「エキップ・ラバノア」の雪野真一さんを加えた3人でゴールを目指すことに。
最終局面、間に合うかどうか本当にギリギリのタイミング。激坂の途中で激坂さんが「頑張りましょうっ」「もうすぐですっ」「3人で完走しましょうっ」と檄を飛ばしてくれる。その熱い応援が心に効いた。自分も辛いはずなのに。やっぱりいい人だった。
最後のアップダウンをハンドルにしがみつくようにしてこなし、蛇行しつつなんとかかんとか3人同時にゴールに飛び込んだ。
16時57分。タイムアウトの3分前。やらせのような、奇跡のようなタイミングだった。
激坂さんは僕の隣でハンドルに突っ伏しながら、完走できたぁー! やったぁー! と叫んでいた。顔をくしゃくしゃにして、ほとんど泣きながら。いい人でもあり、熱い人でもあった。
僕だって泣きたいくらいだった。こんなに疲れたことはなかったし、3人で完走できたことが嬉しかった。激坂さんと雪野さんがいなければ、絶対に完走はできていなかった。
その後、お互いFacebookで何度かやりとりをした。
La routeを立ち上げたときは、激坂さんから「安井さんのチャレンジ、応援します」と連絡をもらった。
2022年4月、激坂さんから2年ぶりの連絡。
「激坂は、とうとう日本縦断ブルベを走ることとなりました。日本最速でもギネス挑戦でもありませんが、オヤジの青春と人生をかけての挑戦です」。
聞けば現在、46歳だという。心がざわざわした。41歳の自分は、あと5年後に日本縦断ブルべを走ろうと思えるだろうか。そんな挑戦ができる激坂さんが羨ましかったし、少しだけ悔しくもあった。
だから今回は僕が応援する番だ。
でもどうやって?
レポートを書いてもらって、La routeで発表しよう。
激坂さんの挑戦を、文章という形にして残そう。
それに、46歳のいち自転車乗りである激坂さんの、日本最速でもギネス挑戦でもない人生最大の挑戦記を、41歳のいち自転車乗りである僕は、読んでみたいと思った。
「日本縦断ブルべの参戦レポートを書いていただくことはできますか?」
「安井さんのためなら喜んでやりますよ」
そう言ってくれた激坂さんは、4月29日、鹿児島をスタートする。
いよいよ、人生最大の挑戦が始まりますね。
行ってらっしゃい。
どうか、お気をつけて。
(安井)
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年齢も、生まれた場所も、自転車との付き合いかたも、文章のテイストも異なる、安井行生と小俣雄風太。ほぼ赤の他人と言ってもいい彼らの共通言語は「自転車が好き」、ただそれだけだ。彼らが向かった先は、西伊豆。小俣と安井がそれぞれの視点で、それぞれが感じたことをお届けする、極私的なふたりぼっちのツーリング記。
2021.05.10
年齢も、生まれた場所も、自転車との付き合いかたも文章のテイストも異なる、安井行生と小俣雄風太。ほぼ赤の他人と言ってもいい彼らの共通言語は「自転車が好き」、ただそれだけだ。彼らが向かった先は、西伊豆。小俣と安井がそれぞれの視点で、それぞれが感じたことをお届けする、極私的なふたりぼっちのツーリング記。
2021.05.10
東京から大阪、その距離およそ520km。通常なら3〜4日かけてのぞむようなロングライドだ。しかし自らに24時間というタイムリミットを課し、出発日時をネット上で宣言した瞬間、520kmの移動は“ツーリング”から“キャノンボール”へと意味を変質させる。多くのサイクリストにとって未知の領域であるこのキャノンボールについて、ウェブサイト「東京⇔大阪キャノンボール研究」の管理人にして、過去に2度のキャノンボール成功を達成している「baru(ばる)」さんにインタビュー。サイクリストを惹きつけるキャノンボールの魅力から、明快な論理で導き出される攻略法に至るまで、じっくり教えてもらった。
2022.01.31
日本最南端の佐多岬から、最北端の宗谷岬まで。総距離2,700km、獲得標高約23,000mを一気に走り切る日本縦断ブルべ。それに人生をかけて挑戦した一人の男がいた。とあるイベントでパールイズミの激坂ジャージを着ていたがために“激坂さん”と呼ばれることになった、一人息子と妻と自転車と山を愛するその男は、なぜこのウルトラブルべを走ろうと思ったのか。国内最速でも、ギネス挑戦でもない、普通の自転車乗りによる日本縦断ブルべ参戦記。数々のトラブルに見舞われながら、なんとか準備を終えた激坂さん。vol.2では、出走前日から兵庫までの記録を綴る。トラブルの神様はまだ激坂さんに憑いているようで……。
2022.08.02