かつて自転車ウェアブランドでPRをしていた時に、ツアー・オブ・ジャパン(TOJ)のレースレポートを毎日現場から作成するという仕事をした。それは誰が勝ったよりも、レースのインサイトや1週間をかけて日本を縦断する現代の旅芸人(=ロードレーサー)たちの機微をドキュメントする類の仕事で、今にして思い返すとレポートというよりはエッセイであった。

伊豆ステージのレポートの見出しに、「修善寺の戴冠」とつけたことを今でも覚えている。最終日前日の伊豆ステージでリーダーであれば、多くのステージレースがそうであるように、総合優勝をほぼ手中に収めたことになる。その年は、圧倒的な強さをイラン人選手が見せていた。

この見出しは、この地で病に伏した夏目漱石の「修善寺の大患」をもじったものである。まだ若く、文筆で生計を立てたいと夢見ていた僕は、どこかに文豪との接点を探していたのだと思う。

さて、そんな伊豆に安井さんとやってきた。事の顛末は記事を参照(安井行生編小俣雄風太編)いただくとして、幻に終わった雨の2日目は、安井さんと伊豆の自転車関連施設巡りのドライブに繰り出したのだった。

滞在したコナステイでは、元プロレーサーの平塚吉光さんの話を聞く。ラバネロのジャージで走っていた姿もなんだかんだ記憶に新しいが、話してみると本当に自転車が好きだというのが伝わってくる。勝負の世界に生きていた人ほど、人に対してすごく優しいというのは、引退した選手にみな共通している。

雨の中、クルマで向かった伊豆サイクルスポーツセンターは、いままさに、五輪に向けての工事が行われていて、どこも開いてはいなかった。2021年の4月になっても工事が進行中というその光景をみて、本当に3ヶ月後にここへ五輪が来るのかどうか、わからなくなってしまった。しかし今夏ここでマチュー・ファンデルプールを見ることだけが僕の今生きる理由であることは書き記しておく。本当に五輪はやるのだろうか……。

もう一箇所、ぜひ行きたかったのがメリダXベース。いざ訪れると、道の駅、そして植物園という脈絡のない通路を延々歩いた先に唐突と現れる白亜の自転車御殿といった威容。メリダは世界の自転車業界を骨太に支えている存在だということが圧倒的物質感をもって感知されるのだった。

館内で作業にあたられていた添田氏は、チームミヤタでメカニックを務められ、ワールドツアーチームのバーレーン・メリダ(現バーレーン・マクラーレン)来日の際にも手腕を振るうという現場主義の人。旧知の安井さんと話し込むのを端で聞いているだけでも興味深いものがあった。

自転車に乗らなくとも、自転車をたっぷり満喫した雨の午後、後ろ髪を引かれながら帰路を東へと向かったのだった。もちろん、帰りの車内では安井さんと自転車談議をしながら。

(小俣雄風太)