昔、僕にそそのかされてロードバイクを買った友人が、久々のイベントに出るために練習を再開したそうで。買わせた責任感もあり、それに付き合って箱根へ。

一緒に走りながら、でも僕はずっとタイヤのことを考えてました。
ここここで書いた、パナレーサーの皆さんに教えてもらったタイヤの振る舞いのこと。

タイヤの“グリップ感”や“扱いやすさ”とは何なのか。何によって決まっているのか。
“ロードインフォメーション”の正体とは。何によって生じているのか。

取材して分かったんですが、それらには全て理由があり、発生源があったんです。ただの感覚ではなかったんです。ずっと抱いていたそれらの疑問が氷解したことが、個人的には今回の取材の一番の収穫でした。

パナレーサー取材で得た知識を小脇に携えて、タイヤと対話をしながら旧道を下ってみました。
すると、これまでとは全く感覚が違うんです。
これまでなんとなくぼんやりと感じ取っていたグリップ感、扱いやすさ、ロードインフォメーションが、発生源が分かったことで、よりクリアに感じ取れるようになった。
手前味噌もええかげんにせいと言われそうですが、こういうことこそ、機材としての自転車の面白さだと思います。

今回公開した2本の記事にも書きましたが、タイヤの設計には、そういう“感覚性能”が意図して埋め込まれています。そして、それらを追求すれば犠牲になる性能もある。そこのバランスが難しく、どこに着地させるかがタイヤ設計の肝です。

そんなことを考えていたら、はたと気付きました。
これはフレームにも、ホイールにも言えることなんですね。

疲れにくさ、扱いやすさ、使用感、ポジションの自由度など、人間と機材の親和性。
メーカーとして追求しなければならない絶対的な性能。
同時に、ユーザーに対してアピールしなければ買ってもらえないスペック上の数字(軽さ、剛性、空力性能、振動吸収性など)やプロレースでの勝利数。

全ての商品としての機材は、その3要素の間を行ったり来たりしているのかもしれません。
これはフレームもホイールも、そしてタイヤも同じなんです。人間が使う機材って、根底のところでは全て繋がっているんです。

その中の身体的親和性は、メーカーによって最も差が出るところでしょう。
絶対性能至上主義のメーカーがあり、スペックのアピールが上手いメーカーがあり、体や感覚との相性を重視するメーカーもある。
でも、「体や感覚との相性」って、絶対的性能やスペックと比べて絶望的に分かりにくい。

今回のテーマとなったタイヤだって、「転がり抵抗○%減」「グリップ○%向上」と宣伝できたほうが分かりやすい。
「ロードインフォメーションをより感じていただきやすくなりました」「グリップ感がより自然になりました」「扱いやすくなりました」とアピールされても、一般ユーザーには響きにくいでしょう。

でも、メーカーの技術者はそこの重要度を分かっている。「人がどう感じるか」が大切だって分かっている。分かっていても、そこを追求しすぎると商品力が低下する。そこを追求していたフレームメーカー、タイムのマーケットでの存在感の変化を考えればわかります。メーカーに言わせれば、「大切だと分かっちゃいるけど、それじゃ飯は食えねぇ」ってことでしょう。

パナレーサーはアジリストで、そのあたりをどう着地させたのか。
そこは後日公開する「アジリスト開発憚」で掘り下げています。

友人をほったらかしにして、そんな考え事をしながら七曲りを下るなんて危ない?
いやいや。
ここまでタイヤに集中してるんだから、こんな安全なダウンヒルもなかったですよ。

(安井)